江戸で買った大きな土産、どうやって郷里まで運んだのか

江戸時代に大八車で荷物を運ぶ人のイラスト
なりさん

浮世絵や本なら、風呂敷に包んで背負えばいい。でも、大きなものはどうしてた?

江戸時代、地方から江戸に出てきた人が、土産を買って帰る――
これは当たり前の光景だった。

浮世絵や本なら、風呂敷に包んで背負えばいい。
でも、大きなものはどうしたのか。

例えば――

  • 大きな屏風や掛け軸
  • 陶器や漆器のセット
  • 鏡台や家具
  • 反物を何反も

こういうものを、徒歩で十数日かけて運ぶのは無理だ。

では、どうしたのか。


答え:「継ぎ送り」という流通システムがあった

江戸時代には、継ぎ送り(つぎおくり) という物流システムが存在していた。

これは、宿場町から次の宿場町へ、荷物をリレー形式で運ぶ仕組みだ。

仕組みはこうだ。

  1. 江戸で大きな土産を買う
  2. 店が近くの問屋場(といやば) に荷物を持ち込む
  3. 問屋場が次の宿場町まで運ぶ
  4. 次の宿場町の問屋場が、さらに次へ運ぶ
  5. これを繰り返して、最終的に郷里まで届く

今でいう「宅配便」の原型だ。


問屋場とは何か

問屋場とは、宿場町ごとに設置された 公的な運送拠点 である。

主な役割は以下の通り。

  • 幕府の公用荷物を次の宿場へ継ぎ送る
  • 一般の荷物も、有料で取り扱う
  • 人足や馬を手配する

つまり、問屋場は 運送会社兼人材派遣会社 のような存在だった。

江戸で買った大きな土産は、この問屋場を経由して郷里まで運ばれた。


料金はどれくらいかかったのか

継ぎ送りの料金は、距離と重さ で決まった。

例えば、江戸から大坂まで屏風を送る場合、
現在の価格で換算すると 数万円程度 かかったと推測される。

決して安くはない。

だが、自分で運ぶ手間と時間を考えれば、
払う価値がある と判断されていた。


店が「継ぎ送り手配」までやってくれた

重要なのは、店側が継ぎ送りの手配まで引き受けていた ことだ。

大きな土産を扱う店――
屏風屋、陶器屋、家具屋など――は、
問屋場との提携関係を持っていた。

客が「これを大坂まで送ってほしい」と言えば、
店が問屋場に荷物を持ち込み、手配してくれる。

客は、店で料金を払うだけでよかった。

今のECサイトで「配送先を指定する」のと、ほぼ同じ感覚だ。


破損リスクはどうしたのか

大きな荷物を何度も積み替えて運ぶ以上、
破損のリスクは常にあった。

そのため、以下の対策が取られていた。

  • 梱包の徹底:藁、籾殻、竹の皮で厳重に包む
  • 保険的な仕組み:一部の問屋場は、破損時の補償制度があった
  • 信用第一:評判の悪い問屋場は淘汰された

完全ではないが、ある程度のリスクマネジメントは機能していた。


なぜこのシステムが成立したのか

継ぎ送りが成立した理由は、参勤交代 にある。

参勤交代で大名行列が定期的に往来するため、
街道と宿場町のインフラが整備されていた。

  • 街道が整備されている
  • 宿場町が定期的に機能している
  • 人足と馬の供給が安定している

この基盤があったからこそ、
一般の荷物も 同じルートで運べた のだ。


まとめ

江戸で買った大きな土産は、こうして運ばれた:

  1. 店が問屋場に持ち込む
  2. 問屋場が次の宿場へリレー形式で送る
  3. 最終的に郷里まで届く
  4. 料金は距離と重さで決まる
  5. 店が手配までやってくれる

現代の宅配便と比べれば時間もコストもかかるが、
江戸時代なりの合理的な物流システム が機能していた。

大きな土産を買っても、自分で運ぶ必要はなかった。
店に任せれば、ちゃんと家まで届いた。

江戸の人々は、思っている以上に 便利な買い物 をしていたのだ。

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