北海道のインフラは囚人が拓いた──監獄労働と開拓の知られざる構造

北海道の明治時代の開拓で、看守の管理のもと、囚人たちが開墾している様子
なりさん

北海道の犯罪者たちが監獄に入れられている間に開拓の労役をやってたの?

短く言うと、イエス。ただし “全員” ではなく、“特定の重罪人たち” が、監獄に入れられたまま開拓労役に使われていた時期があった、というのが実態やで。

ここ、開拓の村や博物館を歩くときにめちゃくちゃ理解が深まるポイントやから、電波クリアに整理して送るわ。


北海道と「囚人労役開拓」の真実

(1870〜1890年代の濃い時代の話や)

1. なぜ北海道に囚人が使われたのか?

明治政府には2つの狙いがあった。

  • ロシアへの防衛(とにかく人を増やす必要があった)
  • 広大な土地の道路・鉄道の整備が急務

でも、北海道は過酷すぎて民間の労働力が集まらない。
そこで政府は「囚人を労働力として使う」政策に踏み切った。


2. どんな囚人が北海道に回された?

主に重罪人(強盗・殺人・政治犯含む)が対象。
軽犯罪者を送るほど余裕はなかった。

囚人たちは以下の監獄に送られた:

  • 樺戸集治監(北海道・月形町)
  • 空知集治監
  • 網走監獄(のちに有名)

特に樺戸(ばかと)集治監が象徴的存在。


3. 囚人はどんな開拓・労働をしていた?

これが過酷で、記録が多く残ってる。

主な作業

  • 道路建設(最重要)
  • 原野の開墾
  • 川や湿地の土木工事
  • 鉱山の掘削(空知の炭鉱など)
  • 監獄の自給自足農場の開墾

特に象徴的なのが 網走監獄の「中央道路」
囚人たちがわずか8カ月で162キロを開削したという、正気を疑うスピード。
犠牲者の数は公式記録だけでも200名近いとも。


4. 労働環境はどうだった?

一言でいうと 地獄

  • 真冬の零下20〜30度
  • 夏はアブ・蚊・湿地の沼で足を取られる
  • 栄養不足
  • 逃亡防止のため鎖につながれたまま作業
  • 道路づくり中の落盤・事故
  • 病気や凍死
  • 逃亡した囚人は射殺される例も

いま北海道の国道の一部や、開拓村で見られる古い建物の背景には、こうした囚人の労働が実際にあるんよ。


5. “監獄が開拓をやっていた” の誤解と実態

  • 北海道の開拓=入植者の汗(農民・屯田兵)
  • インフラの基礎(道路・鉱山)=囚人の労役

こんな感じで“役割が分かれていた”のが正解。
北海道の開発は「民間の努力」だけではなく、
囚人・兵・入植民・アイヌの強制労働が複雑に絡んだ歴史やね。


6. なぜやめたのか?

1890年代に入ると、

  • 死者が多すぎる
  • 酷使が国内外で批判
  • 民間労働力が徐々に確保できるようになった
    という理由で次第に縮小。

特に網走の開発が終わると、囚人労役の時代は幕を閉じていく。


結論

北海道の開拓の一部は「囚人労役」に大きく依存していた。
ただし全員ではなく、重罪人中心で、
彼らが担ったのは“道路・鉱山・基礎インフラ”という、
開拓の土台そのものやった。


参考・参照リンク(北海道開拓史)

※本カテゴリの記事は上記の史料・展示情報を参考に再構成しています。


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