戦死者の報告|戦国時代、村で待つ家族に連絡は届いたのか?

残された村の家族に訃報を届ける兵士
なりさん

戦国時代の書状って敵や味方への書状だけではなく、戦死者などが記録された書状もあったん?もし、あったら誰か記録してたんかな?亡くなった場合は、村で待ってる人に連絡がはいった?

いい質問やで。戦国時代の「書状(しょじょう)」といっても、実は種類がかなり多くて、戦の現場でやりとりされるものだけでなく、戦死者や戦況の報告に関するものもちゃんと存在しててん。順に整理して説明するな。

【1】戦死者の報告は「書状」よりも「注進状」「報告状」として残る

戦で誰が討死したか、誰が手柄を立てたか、という情報は、主君や奉行へ報告されました。
このとき使われたのが「注進状(ちゅうしんじょう)」や「戦功報告状」です。

たとえば:

「〇〇合戦注進状」(例:長篠合戦注進状)
→ 現場の武将が、本陣や本国の主君に「この戦で誰が戦死・戦功を立てたか」を報告する文書。
書いたのは現地指揮官や目付(めつけ:監察役)などです。

この注進状の中に「〇〇討死」「△△傷を負う」などが細かく書かれていて、戦死者リスト的な役割を果たしていました。

【2】誰が記録していたのか

主に以下の人々が関わっていました。

奉行・目付・軍監(ぐんかん):戦況の記録・検証役。

侍帳・軍役帳を管理していた家老・奉行:誰が参戦していたかを把握していた。

寺社や村の庄屋:地元に戻るときに供養や戸籍的な記録を残した。

つまり、記録の一次情報は戦場(武将の報告)にあり、二次情報として寺や村の側でも「○○殿討死」といった情報が加えられたわけです。

【3】村や家族への連絡はどうしていたのか

現代のような「公式通知」はありませんでしたが、いくつかのルートがありました。

  1. 同じ郷(ごう)・村出身の兵が帰還した際に伝える。
    「○○殿は討死された」「□□殿は負傷なされた」といった口頭報告。
  2. 主君や家中(いえじゅう)からの書状で知らせる。
    侍身分の家なら、上役から「戦死につき弔いを」と伝達する書状が送られることもありました。
  3. 寺院を通じて知らせる。
    村の菩提寺や氏寺に「○○討死」の報が届き、戒名を授けて位牌や過去帳に記されました。

【4】実際に残る「戦死報告」系の史料例

「長篠合戦注進状」(1575年)
武田軍と織田・徳川連合軍の戦後報告。誰が討死したかが具体的に記載。

「島原の乱戦死者書上」
江戸期の例ですが、戦後に戦死者・捕虜・行方不明者がすべて書き上げられています。

【5】まとめ

戦死者の記録は、現場→主君(注進状)→村・寺(口伝・供養)という流れで伝達。

書状というよりは「報告文」「奉書」に近い形式が多い。

侍階級以上なら正式な書面記録が残るが、足軽や雑兵レベルでは口頭や寺の過去帳が主。


次回は、実際に残っている「長篠合戦注進状」や「小田原合戦書上」などの文書を抜粋して紹介していきます。


参考・参照リンク(戦国時代)

※本カテゴリの記事は上記の公的史料・展示情報を参考に再構成しています。


戦場と民衆

戦国時代は、武将だけの物語ではない。 戦場になった村の人々は、どう生き延び、どう立て直したのか。 逃げる、交渉する、武装する――民衆のサバイバル術。 そして焼け野原からの再建。 名もなき人々が支えた、戦国のもう一つの歴史。

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