戦って、遠征していく方が不利やなかった?何千、何万と人を移動させるんやから。敵地に乗り込んだときには疲れ果ててるやろ?
戦国時代の戦(いくさ)では「遠征する側=圧倒的に不利」でした。
ただし、殿様たちはそれを「わかっていても、攻めざるを得なかった」んです。
その理由を、戦国の現実として3つに分けて説明します。
【兵站(へいたん)】補給が難しい=遠征軍の最大の弱点
遠征が不利な最大理由はここです。
兵糧(米・味噌・塩)や矢玉などを運ぶには、兵士1人あたり1日2〜3升(約3kg)の食糧が必要。
1000人で10日間行軍すれば、それだけで30トンの米が必要になる。
馬の飼料や水も加えたら、もう物流地獄です。
だから戦国武将は、
・川沿いや街道沿いに陣を張る(輸送効率)
・道中の村々に“兵糧奉行”を派遣し徴発
・城を落としたら倉を確保して補給拠点化
といった戦略をとっていました。
それでも遠征軍は「腹が減って動けない」ことが多く、
実際、兵糧攻め(水攻め)が有効だったのもこのためです。
【地の利】守る側は地形・気候・住民を味方につけられる
守備側は圧倒的に地の利があります。
・山や川、湿地などの地形を熟知している
・雨季・雪・気温などの気候リズムを読める
・地元の農民が兵糧や物資を支援してくれる
たとえば武田信玄は、遠征先では「道を焼く・橋を落とす・水源を汚す」などの焦土戦を得意にしていて、逆に守る側がそういうことをすると攻め手は詰みます。
【戦略】それでも攻めるのは“国を広げるしか生き残れない”から
なぜ不利を承知で遠征するかというと、戦国大名の生存条件が「領地の拡大」だったからです。
領地が狭ければ兵糧も人も金も増えず、結局は他国に飲み込まれる。
だから「攻めなければ滅びる」というゼロサム構造。
織田信長や上杉謙信、毛利元就などもみな、
・攻めながら補給線を整備
・城を落とすたびに地元の豪族を味方につける
遠征先に「支城ネットワーク」を構築することで、不利を徐々に減らしていったのです。
まとめ
| 観点 | 守る側 | 攻める側 |
|---|---|---|
| 兵站 | 安定(倉・米蔵がある) | 不安定(輸送負担大) |
| 地形・気候 | 熟知している | 不慣れ・罠にかかる |
| 兵士の士気 | 守る家・家族がある | 長期遠征で疲弊 |
| 戦略 | 消耗戦で待てる | 攻め急がないと補給切れ |
結論:遠征戦は“時間との勝負”
だからこそ、秀吉が天下を取れたのは、「兵站を組織化した初めての武将」だったとも言われています。
秀吉の「中国大返し」はなぜ可能だったのか?|200kmを10日で走破した兵站戦術▼


参考・参照リンク(戦国時代)
※本カテゴリの記事は上記の公的史料・展示情報を参考に再構成しています。







