残された者たちの戦場|戦わぬ者こそ、国を守っていた?

戦国時代。かまどの前で食事の用意をする女性たち
なりさん

戦国時代に留守を任された女性、子供たちはどんな暮らしをしていたの?農作業と家事をしながら女手ひとつで子育てが当たり前だった?

いい質問です。戦国時代は「男が戦に出る」社会構造だったため、残された女性と子どもたちがどのように日常を支えていたのかは、実は当時のリアルな暮らしを知るうえでとても重要なテーマです。以下に、階層ごとに整理してお話しします。


1. 農民の家の場合|「留守を守る」という実務

戦に出るのは主に武士階層でしたが、戦国時代は「動員の範囲」が広がった時代でもあります。農民も領主の命令で兵として駆り出されることがありました。
その結果、農家の女性が田畑を守る「留守役」となることがよくありました。

  • 春:田植え、夏:草取り、秋:収穫と、戦で夫がいなくても季節労働は待ってくれません。
  • 周囲の村人同士で助け合いの共同作業(結/ゆい)があり、孤立せずに田畑を回していた。
  • 「女手ひとつ」というよりも、共同体で支える「村の母ちゃん」たちのネットワークが機能していたと考えられます。

家事・農作業・育児をすべて担うのは当然ながら大変でしたが、村の共同作業や親族ネットワークによって負担が分散されていました。


2. 武家の妻の場合|家を守る「代官」的存在

武士階層の女性、特に城持ち・地侍クラスの妻になると、家中(かちゅう)の経営者としての役割がありました。
夫が戦に出陣すれば、領地や城の留守居(るすい)を任されることもあります。

  • 家臣や領民への指示を出し、税の徴収や兵糧の管理も行う。
  • 家中の人間関係の調整役(揉め事の仲裁)を担う。
  • 手紙を通じて夫と情報共有をしていた(戦場への文通も残っている)。

つまり「政治・経済の実務を担う家庭内代官」。有名な例では、

  • 立花誾千代(たちばなぎんちよ):父の死後に城主を継ぎ、家臣をまとめた。
  • 井伊直虎(いいなおとら):家を継ぎ、井伊家を存続させた。

このように、女性が家督を一時的に守るケースも多く、戦国の妻は「家を支える戦士」でもありました。

以下の「領地経営を担った武将の母や妻たち」も参考にしてください。▼

歴史の実生活
404: ページが見つかりませんでした | 歴史の実生活 歴史とは、英雄の記録ではなく、無数の“生活の積み重ね”でもあります。戦の火の粉が降り注ぐ中でも、畑を耕し、子を育て、明日をつくった人たちが確かにいた。そんな彼らの...

3. 子どもたちの生活|「小さな大人」として働く

子どもといっても、今のように「勉強と遊び中心」ではありません。
6〜7歳にもなれば、もう立派な労働力。田畑の手伝い、水汲み、薪拾い、弟妹の世話が日常です。

  • 男の子は、近隣の家や親戚の家に「奉公」に出されることもありました。
  • 女の子は、早い場合は10代前半から「嫁入り修業」として家事全般を仕込まれる。

つまり、子どもたちも「家を守る戦力」として育てられました。
戦国の村では、家族全員が働き手というのが基本構造でした。


4. 情緒面|「祈り」と「絆」で支え合う日々

戦乱の不安の中で、女性や子どもたちは神仏への祈りを日々のよりどころにしていました。
夫や息子の無事を願って、村の地蔵や観音に手を合わせる姿が多く記録に残っています。
また、戦死の知らせが届かないまま何年も待ち続ける妻も珍しくありませんでした。

「戦国の母」は、泣きながらも畑を耕す。
その姿を見て、子どもたちは生きる力を学んでいったのです。


生活編

あの時代、人々はどんな生活をしていたのだろう?衣食住から働き方まで、素朴な疑問にわかりやすくこたえます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!