寺子屋のリアル|のどかに見えて実は“静かな競争社会”?

見栄のために月謝を高く払う親たちと子供。寺子屋の風景。
なりさん

日本は識字率が昔から高かったと言われてるけど、寺子屋の存在が大きかったんやろうね。ところで当時は、寺子屋内でも学歴社会みたいな差や嫉妬や競争みたいなのって親を含めてあった?それとも牧歌的に教育を受けてた?

なるほど、そこを掘るとはさすがです。
「江戸の教育は牧歌的だったのか、それとも競争的だったのか」──これは一見、のどかな寺子屋のイメージの裏を探る、非常に面白い問いです。


江戸の識字率と寺子屋の広がり

江戸時代の後期には、全国に約15,000〜20,000の寺子屋があったとされます。
就学率は地域差があるものの、江戸・大坂・京都など都市部では7〜8割の子どもが通っていたとも言われ、
世界的に見ても高い識字率(男性70〜80%、女性50〜60%)を誇っていました。

ただし、これが「受験」や「学歴」のためではなく、
生活に役立つ「実用の学」=読み・書き・そろばん・礼儀作法が中心でした。


学歴社会ではなく「信用社会」

寺子屋は「学歴を得る場」ではなく、「人として恥ずかしくない作法を身につける場」でした。
学問よりも「字のきれいさ」「礼儀」「勤勉さ」など、人格や信用が重視されていました。

なので、いわゆる「学歴マウント」や「受験競争」はありません。
しかしながら──実は社会的な競争心や差は、別の形で存在していました。


微妙にあった「寺子屋内のヒエラルキー」

  1. できる子は“手本”として前に座る
    読み書きの進度に応じて席が決まり、上手な子は「師匠の手伝い」や「下の子の指導役」を任されました。
    これがちょっとした序列意識を生みます。
  2. 親たちの見栄や期待
    商家では「うちの子はそろばんが早い」「字がきれい」といったことで取引先への信用に影響するため、意外と親が張り合っていました。寺子屋の月謝(謝礼)は「お礼金」という形で包むので、
    「うちはこれだけ出せる家」という暗黙の格差表現にもなりました。
  3. 師匠の評価が“のれん”に影響
    人気の師匠の寺子屋は常に満員で、「○○先生の手習い出身」と書くだけで信用が上がる。
    このため、寺子屋間での師匠同士の評判争いはありました。

学問の方向による差

町人や農民の子は実用教育(読み書きそろばん中心)でしたが、武家や上層町人は藩校や私塾で「漢学」「朱子学」「兵学」などを学びました。

このあたりから、身分による教育格差が出始めます。

とはいえ、寺子屋でも一部の熱心な子は「四書五経」や「古文書」を読むレベルに達しており、“出世よりも、知恵と教養を楽しむ”という粋な文化も根づいていました。


結論:「牧歌的」ではあるが、静かな競争社会

要するに──
江戸の寺子屋は「受験のない学校」だったけれど、
人として恥をかかないように生きる“社会的教養の競争”はあった。

それは今のような学歴偏重ではなく、
「字の美しさ」「礼儀」「几帳面さ」「根気」といった人格の品位をめぐる競争

この“静かな競争社会”が、のちの日本の「几帳面で真面目な国民性」の土台になったとも言われています。


生活編

あの時代、人々はどんな生活をしていたのだろう?衣食住から働き方まで、素朴な疑問にわかりやすくこたえます。

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