江戸の長屋と夜泣き事情|音が筒抜けでも成り立った“助け合い社会”

長屋の赤ちゃんの夜泣き。でも、優しく見守る近所の面々
なりさん

江戸時代の長屋って音が筒抜けやんか。赤ちゃんの夜泣きってお互い様?それとも親は肩身の狭い思いをしてた?

いいところに目をつけましたね。江戸の長屋は、ほんとうに「音が生活の一部」みたいな世界でした。


■ 長屋の構造と音の抜け方

壁は土壁や板張り、仕切りは薄い襖や障子。現代のアパートのような防音はまったくなく、くしゃみ・笑い声・夫婦喧嘩・赤ん坊の泣き声までぜんぶ筒抜けでした。

しかも、ひとつ屋根をいくつも区切った「一棟長屋」も多かったので、音は上からも横からも抜けたんです。


■ 夜泣きは「お互い様」の文化

実際の記録や随筆を見ると、夜泣きは基本的に「お互い様」として受け止められていました。

たとえば、『守貞漫稿』や『江戸の風俗事典』などには、子どもの泣き声を咎めるような記述は少なく、むしろ「元気でなにより」という雰囲気さえあります。

長屋は家族的な共同体で、子守りを代わってくれる年長者や、泣き声に笑って冗談を飛ばす隣人もいたほど。

子どもは“町内の宝”とされる価値観が強かったため、「赤子の声がする=この長屋は安泰」という感覚もありました。


■ とはいえ、肩身の狭い思いもあった

もちろん、特に貧しい長屋や夜番をしていた職人などは、寝不足でつらいことも多く、泣き止まない赤ん坊に困る親が周囲を気にして外に連れ出すこともありました。
夜風に当てながらあやす「夜泣き橋」や「夜泣き地蔵」が全国に残っているのも、その名残です。
つまり――
「基本はお互い様。でも、やっぱり気にする親心」は当時も変わらなかったというわけです。


■ 一言でまとめると

江戸の長屋では、赤ちゃんの夜泣きは「生活音のひとつ」であり、「迷惑」よりも「人の気配」として受け止められていました。

静けさより、にぎわいが価値だった時代です。


生活編

あの時代、人々はどんな生活をしていたのだろう?衣食住から働き方まで、素朴な疑問にわかりやすくこたえます。

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