江戸時代、住所がないのにどうやって荷物を届けたのか

田舎に荷物を抱えて届ける人の姿。どっちに行くか迷ている感じ。

江戸で買った大きな土産を、郷里まで送る――

現代なら、住所を書いて宅配便に出せば終わりだ。

でも、江戸時代には「住所」という概念がなかった。

「東京都千代田区○○1-2-3」のような表記は存在しない。

では、どうやって荷物を届けていたのか。


江戸時代の「宛先」の書き方

江戸時代の荷物には、こんな風に宛先が書かれていた。

都市部の場合:

  • 「江戸 日本橋 越後屋」
  • 「大坂 心斎橋 木綿問屋 伊勢屋」

地方の場合:

  • 「尾張国 ○○村 庄屋 誰々」
  • 「武蔵国 ○○郷 名主 誰々」

つまり、「地域名+屋号(または役職)+名前」 で特定していた。


都市部は「町名+屋号」で届いた

江戸や大坂のような都市部では、町ごとに 町名 があった。

  • 日本橋
  • 京橋
  • 心斎橋
  • 道頓堀

そして、商家には必ず 屋号 があった。

  • 越後屋(三井家)
  • 白木屋
  • 大丸屋

だから、「日本橋の越後屋」と書けば、
問屋場の人間も、配達する人間も、すぐにわかった。

町は狭いし、商家は目立つ。
「あそこの店だな」 で通じた。


地方は「村名+有力者」で届いた

問題は、地方の農家だ。

農家には屋号がない場合も多い。
しかも、村の中に同じ名字の家が何軒もある。

では、どうしたのか。

答え:村の有力者(庄屋や名主)に預けた

荷物の宛先には、こう書く。

「○○国○○村 庄屋 誰々」

問屋場から村まで荷物が届いたら、
まず 庄屋や名主の家に預ける

そこから、庄屋が本人に「荷物が届いてるぞ」と伝える。

本人が庄屋の家まで取りに来る――
という仕組みだ。


庄屋や名主は「村の郵便局」だった

庄屋や名主は、村の代表者であり、
同時に 「荷物の受け取り拠点」 でもあった。

村に届く荷物は、すべて庄屋に集まる。

  • 年貢の通知
  • 幕府からの触れ書き
  • 商人からの荷物

庄屋の家は、村の中で一番立派で、
みんなが場所を知っている。

だから、「とりあえず庄屋に届けておけば、あとは村の中で解決する」 という仕組みが成立した。


同姓が多い村はどうしたのか

「佐藤」「鈴木」「田中」のように、
同じ名字の家が何軒もある村では、混乱しなかったのか。

実は、ちゃんと対策があった。

1. 屋号を使う

  • 「本家の佐藤」
  • 「新田の鈴木」
  • 「川向こうの田中」

地域や家の特徴で区別した。

2. 通称を使う

  • 「佐藤の源蔵」
  • 「鈴木の太郎兵衛」

名前(通称)まで書けば、ほぼ特定できた。

3. 庄屋が仲介する

それでもわからなければ、庄屋が「どの佐藤だ?」と確認してくれた。


荷物が届かないリスクはなかったのか

当然、リスクはあった。

  • 宛先が曖昧で、違う人に届いた
  • 庄屋が不在で、荷物が放置された
  • 途中で紛失した

完璧なシステムではない。

だが、当時の人々は 「多少の誤配は仕方ない」 という前提で利用していた。

重要なのは、
「大体届く」という信頼 があったことだ。


明治時代、近代的な「住所」が生まれた

明治時代になると、政府が 戸籍制度地番制度 を導入した。

これにより、初めて
「東京府○○区○○町○番地」 のような住所表記が生まれた。

それまでの日本には、
「場所を一意に特定する番号」 という概念がなかったのだ。


まとめ

江戸時代、住所がなくても荷物は届いた:

  1. 都市部は「町名+屋号」で特定
  2. 地方は「村名+庄屋(名主)」に預ける
  3. 庄屋が村の中で本人に伝える
  4. 同姓が多い場合は、屋号や通称で区別
  5. 完璧ではないが、「大体届く」という信頼があった

現代の感覚からすれば、曖昧で不安定なシステムに見える。

だが、江戸時代の人々にとっては、
これで 十分に機能していた のだ。

「住所」がなくても、
「地域の繋がり」と「人の記憶」があれば、
荷物は届く。

江戸時代の物流は、人と人の信頼 で成り立っていた。

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